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​  問いのコミュニティ  断章
  名を問い、名を救う

  名づけは、対象の見方と意味の形成に関与する。

  一つの名が未来の人類像、文明の進路、技術と生命の関係を

  どう条件づけるか。ここでは Homo Deus を取りあげ、ある

  時代の想像力を方向づける名のはたらきを問う。

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  ▎一つの名が開く未来像​

「名を問い、名を救う」は

  誰しもに開かれた行為である。
 

  名を問うことは、未来の見方を問い、

  名を救うことは、まだ像を結んでいない

  未来の可能態を救うことである。

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  ここではHomo Deusを例に、一つの名が

  未来像をどう方向づけるかを見ていきます。

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                            * * *

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  未来の人類に対して、Homo Deusと名づけることで、

  何が見えるようになったか。

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  端的に言えば、人類が「神に従う存在」から、

「神的な力を技術的に獲得しようとする存在」へ移行する

  という構図が見えるようになった。

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  ここでいう“Deus” は、宗教的な神そのものというより、

  神に帰属してきた諸能力の記号です。

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  たとえば、

  人間の寿命を延ばす。

  身体や感情や認知を改変する。

  生命を設計する。

  幸福を操作可能な対象として扱う。

  死を運命ではなく、解決すべき技術的課題として捉える。

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  つまり Homo Deus という名づけは、

  未来の人類を「賢い人間」や「道具を使う人間」としてではなく、

  生命・身体・幸福・死を自らの設計対象にし始めた存在

  として見る視点を開きます。

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  重要なのは、人類が神的な能力を獲得する過程で何が失われるのかも、

  同時に浮かび上がる点です。

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  たとえば、

  判断の座が、人間の内面からデータ処理システムへ移る。

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  自由意志を前提とするヒューマニズムの人間像が揺らぐ。

 

  人間が生命を設計する一方で、

  人間自身もまた設計・最適化・予測・管理の対象になる。

 

「人類の未来」と言いながら、実際には一部の人間、企業、

  国家、計算基盤が、その力を握る可能性が出てくる。

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  したがって、

  Homo Deus という語が前景化したものは、三層に分けられます。

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  第一に、死・苦痛・幸福・能力を

  技術的に処理しようとする人類の欲望。

  

  第二に、生命情報の編集を、自然史的な過程として見るだけでなく、

  意図的に設計し、管理し、更新しうる対象として扱う文明段階。

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  第三に、その神的能力が、人類全体の解放ではなく、

  新しい支配、格差、管理、選別を生むかもしれないという反転。

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  その意味で Homo Deus は、未来の人類の名称であると同時に、

  未来社会への警告的な標識でもある。

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  ▎名を問うとは

  では、「名を問い、名を救う」とは何なのか。

  Homo Deusに引きつければ、次のように言えます。

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  Homo Deusという名は、人類の未来を照らす。

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  照らされるのは、    

  神的能力、生命操作、死の克服、幸福の工学化、

  データによる判断、技術的超越です。

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  しかし未来は、それだけで尽くされるわけではない。

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  死とともに生きる営みもある。

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  脆弱性を抱えながら関係を結び直す方向もある。

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  生命を設計することだけでなく、

  生命に応答し続けるあり方もある。

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  判断、節度、共感、沈黙、受苦、ケアによって

  支えられる社会像もある。

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  人間がより強大になる物語だけでなく、

  人間が人間以外の存在との関係を学び直す物語もある。

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  Homo Deus は未来像を提示する名である。

  しかしその名は、未来の可能性全体を指し示すのではなく、

  未来のある方向を選択的に可視化する名でもある。

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  つまり、ここで問われるのは、

  Homo Deus という名の正否ではありません。

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  その名が、どの未来を前景化し、

  どの未来を後景化しているかです。

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  すでに弱く存在しているが中心語になれていない名、

  支配的な未来像の外に押し出された名、

  まだ制度や市場や技術のイディオムに回収されていない名がある。

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  それらの名を可視領域へ移すことには、

  文明論的な意味があります。

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  文明は、技術や制度の集積である以前に、

  どの名によって未来を想像するかに方向づけられる。​​

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  ひとつの名が未来像を組み立てるとき、

  その外側には、まだ十分に名づけられていない未来が残る。

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  ▎名を救うとは

  ことばは、世界を記述するだけではなく、判断を方向づける。

  そしてその判断と実践は、制度や技術と結びつき、文明を形づくる。

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  すでに存在していたが見失われた名、

  時代の語彙に加わらなかった名、

  まだ発語されていない名がある。

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  Homo Deus という名を問うことは、

  ハラリ氏を批判することが主眼ではありません。

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  それは、Homo Deusという名による、

  未来像の占有をほどく作業です。

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「名を問い、名を救う」とは、

  ある時代の想像力を強く方向づける名を問い、

  その名によって見えなくなった未来の諸可能態を、

  もう一つの名によって見えるようにする行為です。

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